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希少!/[稲葉雍通・倭歌]/豊後国臼杵藩11代藩主/学問所創設/伝来履歴

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管理番号 新品 :11238750 発売日 2024/01/12 定価 50,000円 型番 11238750
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希少!/[稲葉雍通・倭歌]/豊後国臼杵藩11代藩主/学問所創設/伝来履歴

希少!/[稲葉雍通・倭歌]/豊後国臼杵藩11代藩主/学問所創設/伝来履歴
本紙=縦340×横430mm 紙本
経年のオレやヤケ他の欠点が多々あります。
しかし、この状態で伝来しました。
この状況で、保存したいものです。
稲葉 雍通(いなば てるみち)は、豊後国臼杵藩11代藩主。兄の稲葉侯通が早世したため嫡子となり、寛政12年(1800年)9月10日、父の隠居により家督を継いだ。教育に力を注いで、武術稽古堂や学問所を創設した。さらに藩財政再建のために倹約令を出したが、1812年12月に百姓一揆が起こり、勘定方を罷免させて百姓の要望を聞き入れるしかなかった。文政3年(1820年)5月6日、長男・尊通に家督を譲って隠居したが、実権はなおも掌握した。また、翌年に尊通が早世したため、三男・幾通に家督を継がせて、雍通はその後見人としてなおも藩政を主導した。天保年間に入ると、藩の借金が26万両にもふくれあがったため、天保2年(1831年)11月から村瀬通吉を登用して、倹約や殖産興業政策などの藩財政改革を行なって、成功を収めた。天保14年(1843年)に幾通も自身に先立って早世したため、孫の観通を擁立して、死ぬまで藩政を取り仕切っている。弘化4年(1847年)9月18日、江戸藩邸にて72歳で死去した。

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